Japan at the FIFA World Cup
ドーハから北中米へ
—— 32年の物語 ——
序章
出場ゼロの国
サッカー日本代表が初めてワールドカップ予選に挑んだのは、1954年のスイス大会だった。だが本大会の舞台には、ただの一度も立てないまま——それから40年近くの歳月が流れていた。
アジアのなかでも序列は中位。代表戦の観客席はまばらで、Jリーグもまだ存在しない。日の丸を胸に、海の向こうで戦う姿を、テレビ越しに見る——そんな当たり前の風景が、この国にはなかった。
1993年5月、Jリーグが開幕した。同じ年の秋、アメリカ開催の 1994年ワールドカップ・アジア最終予選が、中東のドーハで集中開催された。代表は、はじめて手の届く場所に「世界」を見ていた。
5チーム総当たりの最終予選。日本は3勝1分1敗で迎えた最終戦、イラクに2-1で勝てば本大会だった。試合は終わろうとしていた。残り、わずか数分。
1993・カタール ドーハ
アル・アハリ・スタジアム
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1993・ドーハ
アル・アハリ・スタジアム
1993年10月28日 日本 vs イラク
アジア最終予選 第5戦。場所はカタールの首都ドーハ、アル・アハリ・スタジアム。1994年アメリカ大会の出場権を懸けた最終戦。日本は中山雅史と三浦知良のゴールで2-1とリードし、勝てば初の本大会出場が決まる場面だった。残り時間、約5分。スタジアムの空気は、すでに勝利の側へと傾きはじめていた。
1993・ドーハ
ロスタイム
残り、わずか
2-1のリードで、残された時間はわずか。ベンチも観客席も、勝利の光景を思い描き始めていた。日の丸が掲げられ、勝てば1994年アメリカワールドカップへ——という現実が、目の前に近づいていた。
90分17秒
後半ロスタイムに入った直後。イラクが右サイドで CK を獲得。ペナルティエリア手前にゆるやかなボールが入り、走り込んだ選手のヘディングが、日本ゴールへと吸い込まれた。90分17秒、2-2。スタンドが、文字通り凍りついた。
終了の笛
そのわずか後、試合終了。勝てば出場、その首位の座から、日本は得失点差で韓国に逆転されて3位へ転落。本大会へ続く2枚の切符が、終了間際の一瞬で指の間からこぼれ落ちた。芝の上で立ち尽くすディフェンスライン、膝をつくキャプテン、客席に響く沈黙。「ドーハの悲劇」は、こうして名付けられた。
終了直前、ジャファルのヘディング同点弾。日本ベンチは凍りつき、ドーハの夜は悲劇と呼ばれることになる。
間章
あの夜のあとに
敗北の翌日から、日本のサッカーは静かに、しかし確実に変わりはじめた。Jリーグの観客動員は伸び、海外を目指す若手が増え、ユース育成の体系が組み直された。
「次は必ず」——その言葉だけを胸に、4年後のフランス大会へ向けた予選が始まる。だが行く手は、今度はイランという壁に阻まれた。1997年、第3代表決定戦。場所はマレーシア、ジョホールバル。
1997・マレーシア
ラルキン・スタジアム
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1997・ジョホールバル
ラルキン・スタジアム
1997年11月16日 日本 vs イラン
アジア地区最終予選で並んだ日本とイランによる、第3代表決定戦。会場はマレーシア南端、ジョホールバルのラルキン・スタジアム。前半に山口素弘の豪快ボレーで先制するも、後半にイランが2点を奪い1-2。だが終盤、中山雅史のゴールで2-2に追いつき、試合は延長戦へ突入した。
1997・ジョホールバル
ゴールデンゴール
延長後半。日本は、もはや一点も許されない。
中田英寿の、ゴール正面からの強烈なシュート。
ゴールキーパーが弾く、こぼれ球が ——
「岡野!」
走り込んだ岡野雅行が、左足で押し込んだ。
3-2。試合終了。
初の、ワールドカップ出場。
延長後半14分、岡野雅行のゴールデンゴール。初のW杯出場決定、フランスへの切符を手にした夜。
🇫🇷 第16回 / 1998年
フランスワールドカップ
ジョホールバルで掴んだ1枚の切符。日本代表が、はじめて世界の本大会に立つ。
4年前、ドーハで膝をついた国は、それから別の国になっていた。Jリーグは観客で満たされ、若者が海を渡り、ようやく辿り着いた本大会。だが、本大会初戦のトゥールーズで日本はアルゼンチンと対戦、バティストゥータの一撃に屈して0-1。続くナント、クロアチア戦も0-1で敗退。グループ最下位からの突破は、現実的ではなくなっていた。
そして第3戦、リヨン。ジャマイカ相手の、もう失うものはない試合。後半29分、ピッチに何が起きるかは、その夜の出来事として刻まれる。
1998・フランス リヨン
Group H 第3戦
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1998・リヨン
スタッド・ジェルラン
6月26日 日本 vs ジャマイカ
1-2の敗戦に終わったが、後半29分、中山雅史がついにゴールネットを揺らした。日本代表のワールドカップ史上、初の得点。3戦全敗で大会を後にすることにはなったが、世界の舞台に、日の丸の足跡が刻まれた。
1998・リヨン
ワールドカップ、初ゴール
後半29分。
ペナルティエリア内、こぼれ球を反転して
右足で押し込んだのは——
中山雅史。
ドーハで先制点を、ジョホールバルで延長同点弾を刻んだ「ゴン」が、
日本代表のW杯本大会、初ゴール。
1998年6月26日、リヨン。後半29分、中山雅史の右足が、日本代表のW杯史を開く。
🇫🇷 1998年・総括
世界へ向かう、最初の一歩
3戦全敗、グループ最下位。だが日の丸は、確かに世界の本大会のピッチに足跡を刻んだ。
出場ゼロだった国の、長い旅の最初の1ページ。中山雅史の右足から、日本代表のW杯史が、ようやく始まる。
🇯🇵🇰🇷 第17回 / 2002年
日韓ワールドカップ
リヨンで「最初の一歩」を刻んだ4年後。代表は、自らの国を舞台に世界を迎える。
アジア初開催、日本と韓国の共催。駅も、商店街も、家のリビングも、青いユニフォームと日の丸で埋まる夏が、はじまろうとしていた。
フィリップ・トルシエが指揮を執り、満員の埼玉スタジアムからグループHが始まる。初戦の相手は、ベルギー。
2002・埼玉
ベルギー戦、希望が形になったつま先弾
6月4日、埼玉スタジアム。4年前のフランスでは3戦全敗・勝点0だった代表が、ホストとして開幕戦を迎える。
後半12分、マルク・ウィルモッツに先制を許す。0-1。だがその2分後——後半14分、小野伸二のロングフィードに抜け出した鈴木隆行が、相手DFと並走しながら右足のつま先で押し込んだ。1-1。執念のかたまりがそのままゴールになったような、『つま先弾』と呼ばれることになる伝説の同点ゴール。満員の埼玉が震えた。
さらに後半22分には稲本潤一が逆転弾。終盤にファンデルヘイデンに追いつかれて2-2のドローに終わるが、代表はW杯本大会で、はじめて『勝点』という重さを世界から奪った。鈴木のつま先が、その夜の希望をかたちにした。
2002年6月4日、埼玉スタジアム。小野伸二のロングフィードに抜け出した鈴木隆行が、つま先でボールを押し込む——日本代表が、はじめて世界の本大会で勝点を掴むことになる、執念の一撃。
2002・神奈川 横浜
Group H 第2戦
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2002・横浜
横浜国際総合競技場
6月9日 日本 vs ロシア
後半開始早々、稲本潤一が左足で決めた。1-0。日本代表、ワールドカップ本大会での初勝利。試合終了の瞬間、横浜国際総合競技場に、これまで聞いたことのない歓声があふれた。
2002・横浜
本大会、初勝利
後半開始3分。中田英寿のシュートのこぼれ球を
稲本潤一の左足が振り抜く——
ボールはサイドネットへ。
1-0。代表が、本大会で初めて勝利した夜。
2002年6月9日、横浜国際総合競技場。後半開始3分、稲本の左足が、本大会で代表の初勝利を決めた。
2002・日韓
そして決勝トーナメント(ベスト16)へ
大阪・長居でチュニジアに2-0と勝ち、グループ首位通過。日本中の街角で、見知らぬ人どうしがハイタッチを交わした夜。決勝トーナメント1回戦の舞台は、宮城スタジアム。
2002・宮城
ベスト16
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2002・宮城
宮城スタジアム
6月18日 日本 vs トルコ(ベスト16)
前半、CK からウミト・ダヴァラのヘディングで0-1。攻めあぐねたまま試合は終了。初のベスト16進出という成果を残しつつ、ホスト国の挑戦は終わった。
🇯🇵🇰🇷 2002年・総括
熱狂が、国の隅々まで染み込んだ夏
本大会で初勝利、初のグループ首位通過、初のベスト16進出。トルコ戦に敗れて大会は終わったが、「日の丸を背負って戦う」とはどういう景色か、国民が初めて知った。
サッカーの熱狂は、文字通り国の生活に染み込み、ひとつの自信となった。
🇩🇪 第18回 / 2006年
ドイツワールドカップ
日韓ワールドカップから4年。日韓で得た自信は、ジーコ監督の率いる「自由なサッカー」へと結晶していた。
中田英寿、中村俊輔、宮本恒靖、高原直泰、稲本潤一。Jリーグから世界に羽ばたいた世代が、いよいよ全盛期で迎える大会。本気で「決勝トーナメント」を狙えると、誰もが信じていた。
Group F、初戦の舞台はドイツ西部の小都市・カイザースラウテルン。相手はオーストラリア。
2006・ドイツ カイザースラウテルン
Group F 第1戦
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2006・カイザースラウテルン
フリッツ・ヴァルター・シュタディオン
6月12日 日本 vs オーストラリア
中村俊輔のゴールで先制、1-0で迎えた終盤。残り10分でケーヒルらに3点を奪われ、1-3で逆転負け。風向きが、最後の数分で完全に変わった。続くニュルンベルクのクロアチア戦も0-0で勝点1を加えるにとどまり、グループ突破は最終戦に持ち越された。
2006・ドルトムント
最後の試合、最後の希望 — vs ブラジル
1分1敗。グループ最下位の日本に、決勝トーナメントへの道は、まだひと筋だけ残されていた。最終戦のブラジル戦に、2点差以上で勝てば突破——ロナウド・ロナウジーニョを擁する世界王者を、2点差で破る。
ほぼ不可能なミッション。だがピッチには、希望の光が一瞬だけ射した。前半34分、玉田圭司。ペナルティエリア手前から右足を一閃、ボールはディダの右脇を抜けてゴールネットへ。1-0。日本中の深夜のリビングが、いっせいに息を呑んだ。
だがその希望は、前半ロスタイムにロナウドの同点ヘディングで、もろくも消える。後半、ジュニーニョ、ジウベルト、そして再びロナウドに連続失点。1-4の完敗で、3戦未勝利・グループ最下位として大会を去った。
それでも玉田の右足が灯した一瞬の光は、ドイツ大会の失意の中で、忘れがたい記憶として残ることになる。
2006年6月22日、ドルトムント。前半34分、玉田の右足が世界王者ブラジルから1点を奪う。失意の大会、唯一の輝き。
🇩🇪 2006年・総括
挫折のはじまり
3戦未勝利、グループ最下位。本気で「決勝トーナメント」を狙えると信じていた代表は、はじめて深く期待を裏切られた。
試合後、芝の上で長く動かなかった中田英寿は、大会後に29歳で電撃引退する。「世界に届く」という言葉の重さを、日本代表が深く問われた、はじめての夏だった。
🇿🇦 第19回 / 2010年
南アフリカワールドカップ
ドイツの挫折から4年。下馬評は最低、批判の声に包まれて、代表はアフリカ大陸へと旅立った。
直前まで「自分たちのサッカー」を巡って揺れていた岡田武史監督は、大会数週間前に、守備重視への戦術転換を決断する。中心に据えてきた中村俊輔は本大会でベンチ。CSKAモスクワで主軸を張り続けた本田圭佑が、新しい代表の顔として、ピッチの中央に立った。
事前評価は、国内でも海外でも「グループリーグ敗退」が大勢。直前の強化試合で韓国やセルビアらに連敗が続き、突破を本気で予想する声は、ほとんどなかった。Group E、初戦の舞台は、南アフリカ中央部の高地都市・ブルームフォンテーン。相手はアフリカの古豪・カメルーン。
2010・南アフリカ
Group E 第1戦
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2010・ブルームフォンテーン
フリーステイト・スタジアム
6月14日 日本 vs カメルーン
本田圭佑の左サイドからの決定弾で1-0。本大会初戦勝利は実に8年ぶり、海外開催では初。直前まで「自分たちのサッカー」を巡って揺れていたチームが、岡田監督の決断のもと、ひとつにまとまった瞬間だった。
2010・南アフリカ
Group E 第3戦
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2010・ルステンブルク
ロイヤル・バフォケン・スタジアム
6月24日 日本 vs デンマーク
本田圭佑、遠藤保仁の連続フリーキック。岡崎慎司が駄目押しの一点を加え3-1。グループステージ突破——南アフリカの夜空に、日の丸が高く揚がった。海外開催での決勝トーナメント進出、史上初の快挙だった。
前半16分、約30mのFKがゴール左隅へ。本田圭佑、伝説の左足。
前半29分、本田に続く2本目のFK。遠藤のカーブが壁を越え、ゴール右上へ。
2010・南アフリカ
Round of 16
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2010・プレトリア
ロフタス・ヴァースフェルド・スタジアム
6月29日 日本 vs パラグアイ(ベスト16)
120分間スコアレス。延長戦でも譲らず、ベスト16の舞台はPK戦へともつれ込んだ。
2010・プレトリア
PK戦
1本目 遠藤
遠藤保仁、冷静に決める。パラグアイも成功。1-1。
2本目 長谷部
長谷部誠も成功。パラグアイも続く。2-2。空気は、刺すような緊張に変わっていた。
3本目 駒野
駒野友一の蹴ったボールは、クロスバーをたたいた。乾いた音。歓声と悲鳴が、同時に立ち上った。続くパラグアイは、決める。2-3。
5本目 決着
本田圭佑が4本目を決める。3-4。だが続くパラグアイの5人目、オスカル・カルドソのキックがネットを揺らした瞬間、勝負は決した。3-5。日本のベスト8への挑戦は、ロフタス・ヴァースフェルドの夜空に消えていった。
2010年6月29日、ロフタス・ヴァースフェルド。3本目、駒野友一の蹴ったボールがクロスバーを叩く乾いた音。「ボールがバーを叩いた音は、いまも耳に残っている」——本人が後年そう振り返ることになる、悔しさの一瞬。
🇿🇦 2010年・総括
下馬評最低からの、想定外の成功
海外開催での決勝トーナメント進出、史上初。PK戦で駒野のシュートがクロスバーをたたき3-5で散ったが、代表はベスト16の景色を、海外で初めて見た。
下馬評の低さの中、岡田監督の勇気ある戦術転換と、本田圭佑というニュースターが、はじめて「想定外の成功」を勝ち得た大会だった。挫折の繰り返しに、ようやく一筋の希望が射した。
🇧🇷 第20回 / 2014年
ブラジルワールドカップ
南アフリカで掴んだ自信を胸に、代表はサッカー王国ブラジルへ乗り込む。
ザッケローニ監督の率いる代表。本田、香川、長友、内田、岡崎 — 欧州のトップリーグで主軸を張る世代がそろい、「自分たちのサッカー」を世界に証明するという気概で迎えた大会だった。Group C、初戦の舞台は、ブラジル北東部の海岸都市・レシフェ。
2014・ブラジル レシフェ
Group C 第1戦
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2014・レシフェ
アレナ・ペルナンブーコ
6月14日 日本 vs コートジボワール
本田圭佑のゴールで先制。だが後半、ドログバ投入後にわずか2分で逆転され、1-2。続くナタールはギリシャと0-0、最終戦クイアバではコロンビアに1-4。グループ最下位、未勝利でアマゾンの大会を後にした。
🇧🇷 2014年・総括
掴んだ自信が、ふたたび壊された夏
1分2敗、勝点1、グループ最下位。何もできずに大会を後にした代表。
南アフリカで掴んだ自信は、4年で再び砂のように崩れた。ドイツでの挫折は、繰り返された。
🇷🇺 第21回 / 2018年
ロシアワールドカップ
ブラジルでまた何もできなかった代表が、本大会2か月前の監督交代という異例の状況で、ロシアへ向かう。
ハリルホジッチ監督を解任、西野朗監督が急遽指揮を執ることになった代表。下馬評は、ふたたび最低クラス。Group H 第1戦の舞台は、ロシア南西部の都市・サランスク。相手は南米の強豪・コロンビア。
2018・ロシア サランスク
Group H 第1戦
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2018・サランスク
モルドヴィア・アレナ
6月19日 日本 vs コロンビア
開始3分、PK で香川真司が先制。相手は退場で10人。後半、大迫勇也が決勝ヘッドで2-1。南米強豪相手にW杯で初勝利という、歴史的なリベンジを果たした夜だった。
2018・ロシア
そしてロストフへ
セネガル戦は2-2のドロー。続くポーランド戦は0-1で敗れたが、終盤の「ボール回し」による時間稼ぎは、国内外で強い批判を浴びた。それでも代表はフェアプレイポイント差で決勝トーナメントへ。ベスト16の舞台は、ロストフ・ナ・ドヌ。相手は当時 FIFA ランキング3位、世界最強と称されたベルギー。
2018・ロシア ロストフ・ナ・ドヌ
Round of 16
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2018・ロストフ
ロストフ・アレナ
7月2日 日本 vs ベルギー(ベスト16)
後半、原口元気と乾貴士のゴールで2-0。世界が震えた。だが、優勝候補は黙っていなかった。3点を返され2-3。最後はカウンター一閃、ロスタイムに決められた。試合後のピッチに残ったのは、悔しさだけではなかった。世界に「あと一歩」と認めさせた、確かな手応えがあった。
2018・ロストフ
ロストフの14秒
後半94分。日本のコーナーキックがクリアされた瞬間、
ベルギーは前線へボールを送り出した。
クルトワ・デ・ブライネ・ムニエ・シャドリ ——
わずか14秒のカウンター。
決勝点は、試合終了の笛と入れ替わるように網を揺らした。
2-3。
後半94分、CKがクリアされた瞬間。クルトワからデ・ブライネへ、わずか14秒で決勝点までを駆け抜けた、世界最高峰のカウンター。
🇷🇺 2018年・総括
批判の渦から、世界最強にあと一歩
ポーランド戦の戦い方は、いまも語り継がれる議論を残した。だが世界最強のベルギーに2-0のリードを奪い、14秒のカウンターで3-2と砕けた90分は、日本の名前を世界に再評価させた。
批判の声と、突破の歓喜と、あと一歩の悔しさ。複雑な感情が同居した夏、それでも国民は「いける」という確かな手応えを、ロストフの夜空に見た。
🇶🇦 第22回 / 2022年
カタールワールドカップ
ロストフの「あと一歩」から4年。森保一監督が率いる代表は、ふたたびドーハへ向かう。29年前に膝をついた、あの街。
中東、初の開催。Group E、初戦の相手は4度の優勝を誇るドイツ。第2戦はコスタリカ。そして第3戦は、4年前の優勝候補だったスペインが立ちはだかる。
2022・カタール ドーハ
Group E 第1戦
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2022・ハリーファ
ドイツ戦
11月23日 日本 vs ドイツ
前半 PK で先制を許し0-1。だが後半、堂安律と浅野拓磨が、わずか8分の間に2点を奪う。2-1の逆転勝利。「ドーハの歓喜」と呼ばれることになる夜だった。29年の時を経て、同じ街が、まったく違う物語を書き始めた。
後半38分、堂安の同点弾の8分後。浅野拓磨が右サイドから独走、ニアサイドの天井へ突き刺すゴラッソ。29年前に膝をついた街で、世界王者を逆転した瞬間。
JFA公式のTeam Cam。ロッカールームの空気、ベンチからのスタッフ視点、堂安と浅野のゴール後の歓喜まで、内側からの90分。
2022・カタール
コスタリカ戦のあと
強豪を倒した後の、嚙み合わない90分。アル・ラヤンでコスタリカに0-1。突破がかかる第3戦の相手は、優勝候補スペイン。場所は再び、ハリーファ国際スタジアムだった。
2022・カタール ドーハ
Group E 第3戦
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2022・ハリーファ
スペイン戦
12月1日 日本 vs スペイン
勝てば突破、負ければ敗退。前半は0-1で折り返す。後半開始から堂安律の同点弾、続く三笘薫の折り返しを田中碧が押し込んで逆転。三笘の1mmと呼ばれる、ライン上で1mm残ったボール。VARの判定にスタジアムが揺れた。2-1。グループ首位通過。
2022・ハリーファ
1ミリ
三笘薫が、ゴールラインぎりぎりまで追った。
外に出たように、誰もが見えた、その球を
ふんばる左足の先で、内側へ折り返す。
VAR室の長い沈黙のあと——
ボールは、ラインの内に残っていた。
後半6分、堂安の同点弾の3分後。三笘薫がゴールラインぎりぎりで折り返し、田中碧が押し込む。VAR判定でライン上1mmが認められた、グループ首位通過を決めた瞬間。
JFA公式のTeam Cam。三笘の1mmを生んだ折り返しと、田中碧の押し込みの裏側。グループ首位通過を決めた瞬間、ベンチで何が起きていたか。
翌朝の報道:2022年12月2日。下馬評を覆したグループ首位通過を、テレビ東京がどう伝えたか。
2022・カタール アル・ワクラ
Round of 16
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2022・アル・ジャヌーブ
クロアチア戦
12月5日 日本 vs クロアチア(ベスト16)
前半、前田大然が先制。後半、ペリシッチに同点ヘディングで追いつかれ1-1。延長でも決着はつかず、ふたたび PK 戦。決まらず、止められ、3-1で敗退。だが帰国した代表を待っていたのは、ベスト16への落胆ではなかった。「次は、もう一度この壁を越えよう」という静かな誓いだった。
前田の先制、ペリシッチの同点ヘディング、延長、そしてPK戦。「次は、もう一度この壁を越えよう」が生まれた夜の、内側の景色。
🇶🇦 2022年・総括
伝統的強豪を本大会で倒した、はじめての夜
PK戦で散り、4度目のベスト16止まり。だが過去のW杯優勝国・ドイツとスペインを本大会で立て続けに倒したのは、30年で前例のない事件。
代表は、はじめて「強豪に勝てる代表」としての自信を手にした。「次は、もう一度この壁を越えよう」という静かな誓いが、帰国便で交わされた。
間章 / 2022→2026
「史上最強」への階段
カタールで撒いた「強豪撃破」の種は、その後の4年で確かな実力へと根を張る。森保一監督が続投を決めた代表は、欧州・南米の伝統的強豪を相手に、次々と勝利を積み重ねていった。
——ただし、その4年の後半、特にここ1年は、主軸の離脱が連鎖した時期でもあった。ブラジル戦も、イングランド戦も、怪我のドミノの渦中で迎えた90分。それでも代表は、ひとつずつ歴史を更新していく。
本大会の奇跡だったはずの90分が、繰り返される現実になる。日本代表は、史上はじめて、世界中の強豪が「対戦したくない相手」と認める場所まで来た。
2023・ヴォルフスブルク
リベンジに来たドイツを、4-1で返り討ち
カタール大会から9ヶ月、敵地ドイツ。カタールでの2-1敗戦のリベンジを期したホームのドイツに対し、日本は伊東純也・上田綺世・浅野拓磨・田中碧の4ゴールで4-1の完勝。
現地メディアは「日本戦で大惨事」「速い日本に完全なパニック」と書いた。カタールの逆転勝利は、まぐれではなかった。
ヴォルフスブルクでの90分。久保建英がドイツ最終ラインからボールを奪い、ラストパスを浅野へ。冷静に決まった会心の一閃を、ABEMAが伝えた。
2025・東京
サッカー王国ブラジルから、14戦目で初勝利
東京スタジアム、キリンチャレンジカップ。代表は、その2ヶ月前に守備の柱・町田浩樹を前十字靱帯断裂で失っていた。それでも前半26分と32分にブラジルに先制を許し、0-2でハーフタイムを迎える。70年代から続く対戦の歴史で、日本は一度もブラジルに勝ったことがなかった。
だが後半、空気が変わる。52分に南野拓実、62分に中村敬斗、71分に上田綺世。後半45分で3得点、3-2の歴史的逆転勝利。町田を欠いた守備陣で迎えた、14戦目にしてサッカー王国相手の初白星だった。
後半、南野・中村・上田の連続ゴール。0-2から3-2への大逆転、14戦目で迎えた歴史的初勝利。
2026・ウェンブリー
サッカーの聖地・ウェンブリーで、イングランドに初勝利
W杯前最後の遠征。場所はロンドン、サッカーの聖地ウェンブリー・スタジアム。日本がイングランドと対戦するのは、これが4回目。だが代表は万全ではなかった——町田に加え、3ヶ月前には南野拓実も前十字靱帯で離脱。さらに複数の主軸が短期離脱から復帰途上にあった。
それでも前半23分、鮮やかなカウンター。三笘薫のシュートがネットを揺らす。これが決勝点となり、1-0。主軸の連鎖離脱を抱えながら、4戦目にしてサッカーの母国相手の初勝利。W杯前最後の遠征を、2連勝で締めくくった。
ウェンブリーでのカウンター一閃。三笘薫のゴールが、世界の伝統強豪を、ふたたび黙らせた。U-NEXT が伝えた『今度は聖地で大金星』のハイライト。
間章 / 2022→2026・総括
「対戦したくない代表」になった
ドイツに4-1。ブラジルに3-2。イングランドに1-0。カタールでドイツとスペインを倒した4年後、日本代表は世界の伝統的強豪を、立て続けに撃破していた。
「アジアの伏兵」と呼ばれた時代は、もう過去のもの。森保ジャパンは、本気で「ベスト8の壁」を、いや、その先までも狙える代表として、北中米へ向かおうとしていた。
——その快進撃と並行して、ここ1年に積み重なっていた『もうひとつの現実』を、振り返らないわけにはいかない。
間章 / 2025-2026 春
快進撃の裏側、1年の離脱の連鎖
ブラジル戦の歴史的逆転勝利のわずか2ヶ月前、代表はすでに守備の柱を1人失っていた。そこから1年、離脱の連鎖は止まらなかった。
2025年8月、町田浩樹(左ひざ前十字靱帯断裂)——ブラジル戦の2ヶ月前。2025年12月、南野拓実(左ひざ前十字靱帯断裂)——イングランド戦の3ヶ月前。2026年5月、鈴木唯人(右鎖骨骨折)。久保建英、遠藤航、鎌田大地、冨安健洋、伊藤洋輝、鈴木彩艶、板倉滉も、長短さまざまな離脱を抱えた1年だった。
「史上最強」と呼ばれた快進撃は、すべてこの怪我の連鎖と並行して達成されていた。だが、国民が最も呆然としたのは、5月9日の夜——快進撃と並行していた離脱の連鎖が、最後にひとつの決定打を残した瞬間だった。
2026年5月9日 → 5月15日
三笘薫の名は、26人の中になかった
プレミアリーグ第36節、ウォルバーハンプトン戦。後半10分、三笘薫は左太もも裏付近を押さえてピッチを離れた。3カ月前にウェンブリーでイングランドを沈めた、あの左足が止まった瞬間だった。
その6日後、5月15日。JFAが北中米W杯に臨む26人を発表する。森保監督の言葉「大会期間中の復帰は難しい」。落選——三笘薫、南野拓実、町田浩樹、守田英正。間に合った者——遠藤航、冨安健洋、伊藤洋輝、鈴木彩艶、鈴木唯人(鎖骨骨折からわずか12日で選出)。境界線が、引かれた。
深夜の北中米W杯を、三笘なしで起きて見るのか——一部の国民の脚から、力が抜けた夜だった。だが、ここから始まる物語は、別のものになる。
2分38秒、左太もも裏を押さえる三笘。この瞬間が、北中米W杯のメンバー26人から彼の名を消すことになる。
2026年5月21日
バトンを、つなぐ人たち
試練を背負った代表の周りに、ふたたび歴代の代表が集まっていた。それは、32年史で初めての光景だった。
JFA会長は、宮本恒靖。2002年日韓ワールドカップで「黒マスクのキャプテン」としてベスト16を率いた、あのCBが、戦後最年少47歳で2024年に就任し、北中米W杯を会長として迎える。
コーチ陣にも、日韓世代が並ぶ。1998年フランス・2002年日韓のMF名波浩。2010年南ア・2014年ブラジルのFW前田遼一。2002年日韓のDF齊藤俊秀。1998年フランスのGK下田崇。そして前回カタール大会のキャプテン、長谷部誠。さらに2026年4月に電撃就任した中村俊輔——2010年南アフリカでベンチに座ることになった、あの左足のテクニシャンが、いまセットプレー指南役として代表に帰ってきた。10番のFKの記憶を、久保建英をはじめとする次世代キッカーに継承するために。
そして5月21日、JFAが追加発表をする。鎌田大地のクラブ事情による5月31日アイスランド戦不参加に伴い、LAギャラクシー所属のDF吉田麻也を1試合限定で追加招集。カタール大会のキャプテンが、4年ぶりに代表に戻る。森保監督は会見で、こう語った。「吉田選手の日本代表に対する思いの『バトン』を、しっかり受け取り、ワールドカップに繋げる活動にしたい」と。
支えるのは、現場だけではない。ピッチの外、メディアの側にも往年のスターが並ぶ。本田圭佑、内田篤人、柿谷曜一朗——かつて日の丸を背負った男たちが、いまは解説者やコメンテーターとして、お茶の間の側から代表を大いに盛り上げる。プレーで、言葉で、それぞれの場所から同じチームを後押しする。
宮本恒靖、名波浩、前田遼一、齊藤俊秀、下田崇、長谷部誠、中村俊輔、吉田麻也。日韓世代から、カタール世代まで、歴代キャプテンと10番がピッチの内と外から代表を囲む大会は、32年史で前例がない。「ひとつになるから強くなる」——キリンチャレンジカップ2026のキャッチコピーが、いまの代表の真実を言い当てている。
間章 / 2026年5月・総括
夢をつなぐもの、夢を託すもの
間に合った者は、間に合わなかった者の分まで走る。引退した先輩たちは、コーチとして、会長として、追加招集の元キャプテンとして、ピッチの外からチームを支える。
1998年フランスで「最初の一歩」を刻んだ世代、2002年日韓で「熱狂」を国に染み込ませた世代、2010・2014・2018で挫折と健闘を繰り返した世代——その全員が、いま現役の26人を取り囲んでいる。32年で積み上げてきたものが、人の形をして、ひとつのチームになった。
カタールから北中米までの4年で積み上げた「史上最強」の代表は、いま試練の中にある。だがその試練は、ひとつ新しい問いを、私たちに置いていく。
「三笘がいない代表は、それでも世界の壁を越えられるのか?」
夢をつなぐもの、夢を託すもの、それぞれの思いを乗せて、北中米の夏が、いま始まる。
🇺🇸🇲🇽🇨🇦 第23回 / 2026年
北中米ワールドカップ
32年で代表が積み上げてきた「自信」の総量が、最も厚い大会。同時に、ここ1年の試練を背負って迎える大会でもある。
森保一監督が継続を決めた代表に、欧州最前線で戦う選手たちが集まり続けた4年間。久保建英、堂安律、伊東純也、上田綺世、田中碧、鎌田大地、遠藤航、冨安健洋。世代交代と継続性、その双方を兼ね備えた森保ジャパンが、26人を確定させた。
2025年、北中米W杯のアジア最終予選を世界最速で突破。3カ国共催・48チーム、史上初のフォーマットの新時代の大会で、ベスト8の壁を越える挑戦が、いま始まる。
2026・USA / Mexico / Canada
三カ国共催、48チーム
※ 地図タイルを読み込めない場合に表示されます© OpenStreetMap contributors
2026・北中米
3カ国16都市の旅
メットライフ・スタジアム(ニュージャージー州 East Rutherford)
2026年7月19日、ここで決勝戦が開催される。観客席は8万を超え、ニューヨーク市街を背景に、最後の90分が刻まれる。日本が、その日にここに立てるか——32年の問いの、続きを書く場所。
エスタディオ・アステカ(メキシコシティ)
標高2200m、世界一有名な競技場のひとつ。2026年6月11日、ここで開幕戦が開催される——メキシコ vs 南アフリカ。1970年(ペレ)・1986年(マラドーナ)と続いてきたこのスタジアムは、史上初めて3回のW杯開催を達成し、3度の開幕戦を開いた世界唯一のスタジアムとなる。
BMO フィールド(トロント、大会期間中は「トロント・スタジアム」)
FIFA の規定により大会期間中は「トロント・スタジアム」と改称、改修で収容数 45,736 へ拡張。6月12日にカナダの開幕戦を含め、グループステージ5試合とR32の1試合、計6試合を開催。北中米W杯はUSA 11都市・メキシコ 3都市・カナダ 2都市(トロント+バンクーバー)の計16都市で開催、48チームが集う。
数字
32年と、出場記録
1993年ドーハの夜から、2026年北中米開催まで。出場ゼロだった国の、刻んだ数字を並べる。
0
ドーハから北中米まで
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ワールドカップ出場 (1998→2026)
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決勝トーナメント進出
0
グループ首位通過 (2002, 2022)
ベスト16の壁を、4度叩いた。次は、その向こうへ。
32年の航跡
ドーハから北中米まで、9会場をめぐる旅
※ 地図タイルを読み込めない場合に表示されます© OpenStreetMap contributors
1993 → 2026
32年間の、日本代表の軌跡
32年間の継承は、弱小国を強豪国を脅かす存在にした。
年表
代表とワールドカップの32年
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1993-10-28
ドーハの悲劇
アジア最終予選、対イラク終了直前に同点弾。1994年アメリカ大会出場ならず。
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1997-11-16
ジョホールバルの歓喜
対イラン延長戦、岡野雅行のゴールデンゴール。初の本大会出場決定。
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1998-06-26
中山雅史 初ゴール
本大会・対ジャマイカ。日本代表のW杯本大会における初得点。
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2002-06-09
本大会初勝利
ホスト国として、対ロシア戦に1-0勝利。
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2002-06-18
初のベスト16
対トルコに敗れたものの、初の決勝トーナメント進出を果たす。
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2010-06-29
PK戦・対パラグアイ
海外開催では初のベスト16進出後、PK戦で敗退。
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2018-07-02
ロストフの夜
対ベルギー、2-0から3失点で敗退。世界が「日本」を再評価した試合。
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2022-11-23
ドーハで、もう一度
ハリーファ国際スタジアムで、強豪ドイツに2-1の逆転勝ち。
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2022-12-01
三笘の1mm
対スペイン、ライン上1mmから生まれた逆転勝利。グループ首位通過。
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2023-09-09
ドイツに敵地で4-1
ヴォルフスブルクでの国際親善試合。伊東・上田・浅野・田中碧のゴールで完勝。カタールの勝利は、まぐれではなかった。
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2025-10-14
ブラジル戦、歴史的初勝利
東京で行われたキリンチャレンジカップ。14戦目にして3-2の逆転勝利。後半3得点。
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2025
北中米W杯出場権獲得
アジア最終予選を圧倒的勝点で通過。8大会連続出場、世界最速での決定。
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2026-03-31
ウェンブリーでイングランドに1-0
サッカーの聖地での国際親善試合。三笘薫のカウンター弾で4戦目で初勝利。W杯前最後の遠征を2連勝で締める。
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2026-06-11
北中米W杯 開幕
USA / Mexico / Canada、48チームによる新フォーマット。32年の続きが、かつてない自信とともに始まる。
登場人物
時代を作った選手たち
32年のなかで、日の丸を背負って世界の競技場に立った主な選手たち。
日本サッカーの先駆者
三浦知良
みうら かずよし
1967-
詳しく見る →FW・日本代表W杯初ゴール
中山雅史
なかやま まさし
1967-
詳しく見る →FW・ジョホールバル英雄
岡野雅行
おかの まさゆき
1972-
詳しく見る →MF・パイオニア
中田英寿
なかた ひでとし
1977-
詳しく見る →MF・芸術的左足
中村俊輔
なかむら しゅんすけ
1978-
詳しく見る →MF・代表の顔
本田圭佑
ほんだ けいすけ
1986-
詳しく見る →MF・トップ下の天才
香川真司
かがわ しんじ
1989-
詳しく見る →FW・走り続ける男
岡崎慎司
おかざき しんじ
1986-
詳しく見る →MF・コロコロPK
遠藤保仁
えんどう やすひと
1980-
詳しく見る →MF・3大会連続キャプテン → コーチ
長谷部誠
はせべ まこと
1984-
詳しく見る →DF・カタール大会キャプテン
吉田麻也
よしだ まや
1988-
詳しく見る →FW/MF・1ミリの左足
三笘薫
みとま かおる
1997-
詳しく見る →MF・左足の右ウイング
堂安律
どうあん りつ
1998-
詳しく見る →DF・日本史上屈指のCB
冨安健洋
とみやす たけひろ
1998-
詳しく見る →MF・「鎌田ジャパン」の創造性の核
鎌田大地
かまだ だいち
1996-
詳しく見る →FW/MF・サッカーが好きな努力の天才
久保建英
くぼ たけふさ
2001-
詳しく見る →結章
次の夏
ドーハで膝をついた夜から、32年あまりが過ぎた夏。
出場ゼロだった国は、フランスで最初の一歩を刻み、自国開催で熱狂を国に染み込ませ、ドイツで期待に裏切られ、南アフリカで下馬評の低さの中から成功を掴み、ブラジルでふたたび何もできずに自信を失い、ロシアで世界最強相手に「あと一歩」を見せ、カタールで伝統的強豪を本大会で倒した。自信と挫折を行き来した、32年の旅だった。
そして2026年。日韓W杯のキャプテンだった宮本恒靖がJFA会長として。名波浩・前田遼一・齊藤俊秀・下田崇・長谷部誠・中村俊輔がコーチとして。吉田麻也がアイスランド戦の追加招集として。歴代のキャプテンと10番たちが、現役の26人を取り囲んで、北中米へ向かう。32年で積み上げてきたものが、人の形になって、ひとつのチームになった大会。
代表はUSA、Mexico、Canada——3カ国を旅しながら、48チームの大会で戦う。日本のグループは、6月のキックオフを前に、まもなく明らかになる。
ベスト16の壁を、また叩くだけでは足りない。あの壁の向こうにいるのは、ベスト8であり、その先である。32年で積み上げてきた、かつてない自信と、いまここに集まった全世代の思いを乗せて。32年の旅の、まだ続きがある。
次の夏、北中米のスタジアムで、日の丸が揺れる。 また、世界に戻れる夏がきた。